カミングアウト

某日 出勤する日が増えたので新しくシャツを買う。気に入っているスタンドカラーのシャツの色違い。以前は胸に取られていた前身頃の布地がストンと落ちる分、丈が長く感じる。最近体臭が気になる。

某日 テストステロン注射8本目。声変わりの記録を録音するのにも飽きてきた。

某日 これ以上先送りしても仕方がないと思い、夜、母親にショートメッセージを送る。名前を変えたこと、性別違和が理由であること、ホルモン治療をしていること、職場でも特に問題なくやっていること、今がこれまでで一番状態がよいこと(それはちょっとだけ盛った)。送信前にきょうだいに連絡、根回し。すぐに母から返信と着信あり。

「□□(父)は、知っていますか?戸籍は、自分一人にしたのですか?〇〇(私の同居人)さんとは、婚姻が出来るのですか?ホルモン療法?は、大丈夫なのですか?生理は無いの?心配になりますよ。」

「□□(父)と会って下さい。話をして下さい。」

その他、その他。最初の2通にだけ手短に返事をして寝る。

某日 目が覚めたらまだメールが来ていた。

「△△(私の新しい名前)は、悪くはないと思います。ホルモン療法は、発癌とかの心配はないのですか?毛深くなって、髭もじゃとかは、会うのに抵抗が有ります。外科的な処置は、危険を伴うので、怖いです。止めて欲しいです。〇〇さんと、結婚するとかは、無いのでしょうか?制度とか、詳しくなくて、すみません。それと、戸籍に、男と記載されるのでしょうか?これも、正直、抵抗有ります。先の話ですが、お墓は、▽▽(父方の姓)のお墓でも、大丈夫だと思います。理解が乏しくて、ご免なさい。」

その他、その他。一文ずつお答えしたい気もするが、しない。墓?

某日 乳頭縮小手術を受ける。日帰りで、手術室にすら行かずいつもの診察室で、雑談しながら執刀される。私はアホなので、この日は白いロンTを1枚で着ていて、帰路、出血して右の胸元が赤く染まってしまった。でも誰も「こいつ乳首切ってる」とは思わないだろうしな、と開き直って歩いた。病院の近くにおいしい中華料理屋を見つけた。いい天気だったので公園に寄った。

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某日 父に会う。母親は基本家から出ない。特にこういうときは必ず父親が派遣される。昔からそう。久しぶりに会った父は老いていた。人間は歳を取ると縮む。父はひとしきり自分の近況を話し終わったあと「△△さん(私)の仕事の契約はどうなってるの」と聞いてくる。以前と同じ仕事をしていること、今月から忙しくなることを伝える。それ以外に質問もなく、解散する。トランスについては何も触れてこなかった。腫れ物扱いとかそういうことではなく、ただ触れない。適応してるというより興味がなさそう。何の時間だったんだ。

帰宅後、母からメールが届く。私の仕事に関する的外れな憶測と絵文字が踊っている。ここでも移行についてはノータッチだった。父は私の変化について何も伝えず、ただ「元気にやっているようだ」とか言ったんだと思う。それでよしとする母もよくわからない。ともあれ何かの拍子にバレてえらいこっちゃになる可能性は消した。OK。もう終わろう。

自分が消えた?という記録

テストステロン注射を始めて約3ヶ月が経過した。効果は顕著で、体毛がはっきりと濃くなって、致命的に高かった声は半オクターブ以上下がった。たった今なんとなく喉を撫でたら、先週まで感じなかった喉仏が手に触れた。血液検査の結果も許容範囲なのでこのまま続ける予定でいる。

最近、1年以上前に通っていた地元の公営スポーツジムに登録し直した。テストステロンというドーピングの力を借りて、皆無な筋肉を少しでもつけたくて。ジムには初めて来たテイで新しい免許証を提示して、申込書類の性別欄は未選択で提出したら、何も言われず男子更衣室を案内された。

男子更衣室は怖い。自分の性別が「リード」されるのではないかと思う。実際にはその危険は一度も感じてないけど。女子更衣室は周囲を怖がらせてしまうのではないかと思って怖かった。当時は意識して、高い声で挨拶したりしていた。いずれにせよ、居心地は悪い。そして「移行」を経て、男女どちらも私にとっては異性だという確信を深めている。

着替えの際に極力体を見せないためにはどうしたらよいか悩んでいたら「家からウェアを着て行って、運動後は着替えずそのまま帰っちゃえば」とアドバイスをもらった。そんなこと可能か?と思ったら、可能だった。だって私にはもう胸がない。だから運動後の汗ばんだ皮膚に無理やりバインダーをつける必要がなく、汗が溜まる部位も少なく、Tシャツ1枚でも不安を覚えることはない。胸があったときはバインダーやインナーが必須で、汗だくで歩き回るのもはばかられていた、少なくとも私は。正直、楽すぎて驚いた。楽なのは、身体の形状だけの問題ではないと思う。ジム帰りの夜道を1人でフラフラ歩けるのはそういうことだ。

新しい体は、私を今までにない勢いで社会に馴染ませている。「移行」前にあった摩擦を一切感じなくなった。もちろんこんなにすんなり男性扱いされていることはとても幸運なことだと理解している。身長と元来の肩幅と骨っぽい顔貌も手伝って、「男性に見えるやや背の高い女性(?)」だった自分は、今は「やや小柄な男性」になった。

なんて生きやすいんだろう。ただただ楽。私の性別を「読んだ」赤の他人の「あっ」て顔を見て傷つかなくていい。「あの人、女だよ!」って街中で笑われることはたぶんもう、そうそうない。性別二元社会の中で、しかも男性として生きていけるって、こういうことだったの。ずっとこうやって生きてたら、仕組に当てはまらない感覚なんて一生理解できないな。私に良かれと思って「性別なんか関係ない」って言ってくれた人たちへ、性別はね、関係あるよ。

男性として扱われてトラブルやストレスは明らかに減った。一方で自分が抹消された感じがある。もっとeuphoricかと期待してたけどそうでもない。でも声変わりは嬉しいかな。こんなことを考えていると、まるで消えた摩擦の正体が私そのものだったみたいで妙だ。女性扱いされて、もう生きられないと思うより、ずっとマシではないのか。

女性として育てられた事実や女性として生きた期間や「紛らわしい」存在だったことを忘れはしないとは思うが、万が一忘れたら。かつての違和感や自分そのものが抹消されたと感じたことも忘れてしまったら、と思うと怖くて、記録のために今日この日記を書いた。

言葉を掴む(読書感想画)

『文藝』2022秋季号掲載の高井ゆと里「舌は真ん中から裂ける」を読んだ。最近なぜか泣きづらくなったと思っていたのに、読みながらあっけなく泣いた。

私は、トランジションをすると決めてジェンダークリニックに通院を始めてしばらく経った去年10月に日記を書いた。

foxthequeer.hatenablog.com

自分の中の性別押し問答は辛くて苦しくて消耗する。この日記を書いた後、私の舌は一気に裂けた。今、自分は新しい形の舌を口腔内に馴染ませながら、やっぱりわからない、と思っている。だけどその「わからない」は、去年のそれからは少し変質しつつあるように思う。絶望から、諦念にも近い受容に、未知を探索する心持ちに。30年以上見当たらなかった言葉を掴む。奪い返す。あるいはどこにもないなら、描き出してもいいのかもしれない。舌の痛む私たちで、てんでバラバラの姿で。

 

子供の頃あまり好きではなかった読書感想画を、大人になってから時々描く。先生からの褒め言葉も、賞のひとつももらえない。ただ描いている間無心になれるので描く。

画面中央によく似たショートカットの人物が2人いる。左側にいる人物はほぼ後ろ姿で顔が見えない。無数の手がその人物の背中を無理やり押す。画面向かって右側の人物は顔が見える。もつれた舌が見えるくらい大きく口を開けて声を上げている。背後には巨大な赤い肉の断面のようなものがある。

思ったより怖くなっちゃった、そんなつもりはなかったんだけどな。

ただ、「私」を指し示してくる有象無象の手は本当に怖いし、あの舌の痛みはずっしりと重く、意識がある間ずっと苦しい。それでも目を見開いて口を開けて舌を口蓋に当てて喉を震わせる。私の声がする。

私はこれからも私の日記を書きたい。何度同じような内容を繰り返しても、そのときの自分が思ったことならそれでいい。もつれた舌で口ごもりつつ、少し掠れて低くなってきた声でしゃべり続けたい。

セイメイホケンとかジンセイセッケイとか

以前の職場でよくしてもらっていた人からLINEがあって、他愛もない話をしていた。

そういえば生命保険、コロナに対応したやつに入ってます? と聞かれる。知り合いのお子さんが陽性になったんだけど、ちょうど保証付きの保険に入ったばっかりで、お金がおりてよかったって、私も最近保険、見直したんですよ。あぁ、いや、へぇ、そうなんですか。

私は生命保険に入っていない。仮に入ろうと思ったら、長年精神疾患を患っているので相当モノを選ぶだろう。胸オペについて調べていたとき「保険適用+事前に生命保険に入っておけば収支がプラスになることもある」という情報も目にした、でも無理。そもそも自分の生き死にを真剣に考えることができない。抑うつ状態で死ぬことはしょっちゅう考えたけど、なんかこう、生きる前提で考えるというのがよくわからない。死んだり死にかけたりした場合に備えて……? 思考が停止する。

こういう人間と生命保険って根本的に相性がよくないと思う。だから人から「少なくとも何かしらの生命保険には加入していて当然」という前提で話を振られて面食らってしまった。

前提が共有できてないけどわざわざ共有するのも億劫だし、前の職場つながり程度の人間に「生きるとか死ぬとかよくわかんないんですよね〜」とか言われても、困るよな〜。とはいえ適切なお茶の濁し方、わからないな〜。って生返事していたら当然盛り上がらず、話題は「在宅勤務が減ってきたね」みたいな内容にぬるりと移行した。

生命保険といえば李琴峰『独り舞』によく似たシーンがあったと、この日記を書き始めてから思い出した。主人公の趙紀恵は会社の福利厚生の生命保険に入れない。同僚に、どのプランにするの? と聞かれた彼女は「保険には入らないよ」と「しれっと」答える。私もしれっと答えられればよかった。入れない、入らない。私の返答は、紀恵のように自分を守るためのある種の突き放しではなく、相手の顔色をうかがった結果うやむやにしただけの返しで、「しれっと」とは程遠いところにあったな。

「生命保険」と私が関わりを持てないのと同じくらい、「人生設計」もよくわからない言葉の筆頭だ。人生、なんだろう。設計できるものなのか、それは。うつの私にはわからない。と思って過ごしてきたけど、トランジションを進めて良くも悪くも活動的になっている今でも引き続き謎。ただ、その質は変容した気がする。6月に始めたテストステロンは如実に作用していて、私の精神状態は強制的にアッパーになっている。友人たちは口を揃えて「テンション高いね」と言うし自分でもそう思う。よく食べ、よくしゃべり(冒頭のLINEのように主に文字ベース含め)、ソワソワし、性欲を持て余し、薄い社交を増やす。ジェンダークリニックじゃないほうの精神科の定期受診で、双極性障害の薬は減らすことになったが、主治医からは「ホルモンの変化との相関はわからないから自分で様子見してください」と言われた。

トランジションって大きな決断ですよねきっと。まさに人生に関わることだし。ただ、私は「もう いっかな」で始めて、1年間で持てる手札すべてに手をつけちゃって、何度も言うけど行き先もないままで、まあでもそういうこともあるんだ、本当にいいとか悪いとかじゃないな、と思う。設計されていない人生を歩んでいる気がする。

銀行口座やパスポートなど、必要な範囲での氏名変更手続きは、今日ようやくひと段落した。ズボラなせいで忙しさを理由に遅々として進まず、約2ヶ月も掛けてしまった。

注射は2週間おきに打っていて、3週間あいだが空いたときは最後の数日間の落ち込みがすごかった。そのときの暗い気持ちがかつてのデフォルトの精神状態なのかはもうわからない。忘れっぽい。とにかく気分の波の高低差とか自分の変化に耐えきれずに、一度は終電の地下鉄を降りたところで少し泣いた。ただホルモン治療を始めてから泣く回数は格段に減っていて、総時間も量も減っていて、なんだろうなこれはと思っている。因果関係は不明だけど事実。殴られても甘やかされても今なら泣かない。前は泣こうと思ったら涙が出てきたし、泣こうと思わなくてもぐじゃぐじゃと泣いた。今はひとりになって大きく動揺してはじめてポタポタと泣く。今日は『文藝』の短編とエッセイを読んでちょっと泣いた。まだ泣けた。

ホルモン治療と身体改造

胸オペの傷も落ち着いて改名も済んで必要な範囲へのカミングアウトも済んで、やれやれと思う間もなくホルモン治療を開始しました。2週に1回の注射です。まだ数回しか打っていないとはいえ確実に作用は出ていて、ひとまず食欲性欲亢進と皮脂の過剰な分泌。食欲については特に、摂食に異常ありパーソンとしてはかなり困惑しています。御せていない。でも吐いてもいないのでえらいです。あと、妙に活動的な気持ちになっている。これは軽躁状態にも似ていてよくわからない。単に仕事が忙しくて神経が昂ぶっているだけかとも思う。

職場の人たちに、入院に続きホルモン治療を始めたことを伝えたら協力的で、中には先回りして的確な対応をしてくれる人もいた(今後代名詞はどうしたいかとか、ホルモンバランスの変化で体調を崩すこともあるだろうからすぐに言ってくれだとか)。すごい。本当に頭が下がります。私のことをずっと「彼女」呼びしてきた人にも都度訂正を入れ続けること数ヶ月、最近は慣れない感じで「……っこの人が」とか言ってくれている。がんばれ、その調子だ。声が低くなってきたら混乱が生じるから頼みます。

ここまで怖いほどスムーズ。これまでの躊躇はなんだったのかというくらい典型的なステップを踏んで進んできたし、なんなら自分が取ろうと思っていた手札は出し尽くしている。

その上で、自分は「性別をトランスしている」というより「身体改造している」というほうがしっくり来る。タトゥーとかピアスホールの拡張とかに近いかも。激しめの筋トレをする人もそうじゃないのかな。どれも本格的にしたことがないので的確な表現なのかはわからないけど……(それはそれとしてタトゥーはしたいと思っている、いつか)

ひとに理想の体の形があるとして、それは私にとっては女性的でない身体です。だけどもっと言えば、性別という尺度から外れることが第一で唯一の目標で、その考えは昔も今も変わらない。だから男性として埋没するとか、女性から男性への移行ってのは求めていない。でも結果としてトントン拍子で男性化まっしぐらな現状、「男性になりたいわけではない」という言葉の説得力がなくなってきてる気がする。わからない。説得力なんてなくてもそうなんだって言い切りたい。いや許可はいらない。でも私の中の許可が下りない。

そもそもホルモン治療に急な舵を切ったきっかけが、事情を知らない人からの女性扱いに耐えられなかったからなのですが、じゃあ男性扱いしてほしいのか?と聞かれると困る。結局この世は二択でしょ?女性とみなされることに泣くほど拒否感を抱くのなら、残された選択肢は男性一択じゃないですか。仕方がないじゃないですか。それに嬉しいでしょ?テストステロンの値が上がることで現れる変化。いや、別に、諸手を挙げて嬉しくはないです。そうなの?じゃあ何で?女性じゃなくなるって男性になるってことでしょう?違います。違うって言ったら違います。

私、永遠にこの自問自答を続けるんだろうか。考え方も不安も二元論の社会も変わらないまま、私の体だけが変わっていきます。

改名許可

胸オペから1ヶ月以上が経った。経過は順調。4月のうちにバストバンドが取れて、暑がりの私にはセーフ!汗かきにバストバンドは本当にキツい。腕の可動域も徐々に広がってきて、横向きに寝られるようになったし、腕を上げて物を上げ下ろしすることもできるようになった。完璧じゃないとはいえ、胸をかばって恐る恐る動いていた期間を思えば全く快適。腰痛も限界だったし。背骨の繋がりを実感する1ヶ月間でした。引き続き、毎晩創部に薬を塗る。胸全体の感覚がないので最初は気味が悪かったけど、だんだん慣れてきた。そうそう、乳頭壊死はしませんでした!

連休開始の少し前、改名の予備審問のために家庭裁判所に行った。裁判官や書記官ではなく参与員と対面し、質問と確認をされて待つこと10分、名の変更許可が下りた。即日。審判謄本をもらい、その足で役所に走って、戸籍の名の変更届を提出した。連休を挟むので時間が掛かりそうではあるが、全然問題ないです。即日審判が下りた時点で超早いです。

正直、予備審問はヒヤッとした。許可が下りない可能性すら考えた。

新しい名前は、読み方次第では女性名にも読める。で、申立ての資料として提出したジェンダークリニックの診断書には「男性として男性名で生活することが苦悩の低減に役立つ」と書かれている。その書き方と女性名にも読めることとの齟齬に、参与員が引っかかった。

 

「この名前、女性の名前にも読めますけど……」

 

そうですね「男性名」っぽくないですよね。そう見えるようにしたんで。

ただ、そもそもの申立書の備考欄に、私自身でこう書いていた。「厳密に言えば私は男性自認じゃない。だけど女性とも認識していない。自分の体も現在の名前も苦痛。現状の名前はアイデンティティの維持に著しい支障を来している」という内容。これ本当は、提出前は本当に、書かないほうが良いかもしれないとも思いながら、書いた。なんでかというと、なんかこう、書かないと、自分の状態として整合性が取れなかったから。

結局、蛇足は吉と出た。参与員は備考欄を読んで、疑問を自分で解消した。

 

「……でも、申立書に『男でもない』と書いてあるから、良いんですね」

 

そうですそうです。申立人が良いって言ってんだから良いんです。ね、解決。

診断書には「FTM」とあるし、「男性として生活している」とされているし、なんなら実際「男性」としてかなり「パス」して生活している現状(胸オペ後「パス」具合は明らかに加速した。黙っていれば。それについては別途……)で、もういっそのこと「私は男性なので」と白を切れば良かったし、そうした方がある種安全だと思う。この世ですからね。だけど私はそれができなかった。馬鹿正直といえば馬鹿正直。というか、馬鹿ですね。「男性じゃないなら女性でしょう。改名しなくて良いじゃないですか」とでも言われたら、どうするつもりだったんだ。

そもそもジェンクリの医師がバイナリーな書き方をしなきゃ済んだ話じゃないかとも思うが、ジェンクリとはそういう場所なので、とも考える。とにかく、結果的に、通った。良かった。待合室での10分間、冷や汗をかいていた。外は晩春の陽気。

戸籍の名前が変わったら次に住民票の名前を変更する。その後、免許証や保険証や諸々の変更手続きを、たくさん、スムーズに進めないと。

数ヶ月サイクルで忙しくなる今の仕事は、もうそろそろ忙しくなるな〜という頃合いだけど、職場で特に関わりのある人は私が術後であることを理解してくれていて、急な or 長時間の依頼を断っても嫌な反応はされていない(依頼自体はある)。ありがたい。本格復帰する頃には、新しい名前が記載された身分証をゲットしているはず。

映画や本や漫画の記録 2022年1〜4月

今年に入って観た映画やドラマ、読んだ本や漫画などの記録。書籍は気に入ったり印象強かったりしたものだけメモ。

ここしばらく、映画や読書に必要な集中力が保てる程度には元気。基本的に最新のものには追いついていなくて、観たいな読みたいな、と思って長期間積んでいたものをちまちま崩している感じ。

 

●映画

・『キャロル』(2015)

 衣装が素敵。ほら!この画を見せたいんだ!という制作側の心意気を感じた。

 

・『マトリックス』(1999)

 初視聴。圧倒的廃れなさ。続きも観ようかな。

 

・『ドント・ルック・アップ』(2021)

 直接的すぎていまいちだった。

 

・『ミッドサマー ディレクターズカット版』(2019)

 これは聞きしに勝る浄化映画。ビョルン・アンドレセン、良い声。

 

・『悪人伝』(2019)

 安心安全(大嘘)のマブリー。

 

・『セックス・エデュケーション』シーズン1(2019)

 2019年公開のドラマを2022年に観るとこんな感じか。シーズンを追えばより良くなるのか?

 

・『オーシャンズ8』(2018)

 今年ももうすぐメット・ガラ、というタイミングで2回め視聴。好き。

 

●本・漫画

 

レベッカ・グリーン『おばけと友だちになる方法』

 一生(死んでも!)友達でいられるおばけちゃん、大人になった今からでも会えたらいいのに。

 

・ナガノハル『一万年生きた子ども:統合失調症の母をもって』

 世界で一番大人で、神様にすらならなければいけなかった子ども。何かが刺激されて、本当に泣いたり怒ったりしながら読んだ。

 

・李琴峰『独り舞』

 出てくる舞台に見知った土地や風景が多く、脳内で空気まで再現されたのだけど、これでよかったのかしら。

 

・温又柔『台湾生まれ 日本語育ち』

 言語と統治の歴史みたいなことを考えていたタイミングで、この本を思い出して読んだ。

 

・宇佐見りん『かか』

 読むのは2回め。改めて引き攣れる痛みを感じながら読了。

 

・ゆざきさかおみ『作りたい女と食べたい女』1〜2巻

・さもえど太郎『Artiste』1〜4巻

・紺野アキラ『クジマ歌えば家ほろろ』1巻

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そういえばコロナ禍になってから、展覧会にほとんど行っていない。まるでタスクのように片っ端から行っていた時期もあったのに。そのせいなのか、空き状況を確認して予約して…というスタイルに馴染めないまま今日に至る。

胸オペが終わった

終わりました。

仕事の休みを取り、入院。あれよあれよという間にオペ。入院中の経過は良好で、全体を通して痛みもそこまで強く感じなかった。全身麻酔や痛み止めによる吐き気も全くと言って良いほどなかった。鈍いのか。早々に両脇のドレーン(血液等の排液を出すために創部に入れる管。色や量が見えるので、ちょっとグロい。)も抜けて、予定通り1週間で退院。入院の必需品は限度額適用認定証とふりかけと、ベッド脇に引っ掛けるS字フックで間違いない。

術後に自分の体を初めて見た感想は、第一に「兄弟そっくり……」だった。開放感とか安堵感とかを押しのけて、まずそれ。入院のために髪を短く切ったことも相まって、平らな胸を得たことで、顔つきのみならず体つきまでもがよく似ていることが判明した。DNA〜。

帰宅後、毎日バストバンドを締める。暑がりなので汗ばむ陽気の日はちょっと苦しいけど、固定を怠ると剥がれた肉がくっつかないので我慢。ドレーンが挿さっていた傷口からの滲出は退院後2日でなくなった。はや。

残念な点としては、乳頭壊死の可能性があること。入院中から主治医たちもそのようなことをほのめかしていたからか、あまり驚いてはいない。はなから縮小手術も必要そうな形状だったし。とりあえず抜糸のためにすぐ通院なので、そのときにいろいろ聞く。

家の鏡に映る自分を見る。厚みがない。服を着る。輪郭がすとんと落ちている。シャワーを浴びて体を見下ろす。なんだろうな、私の体、最初からこうだったよね?というか、「おう、おかえり」というか、晴れやかな高揚を伴う破顔ではなく、うすらニヤニヤするというか、そんな、ぬるっとした感覚がある。gender euphoriaってのはまだよくわからないが、だんだんわかってくるだろうか。それともこの、ぬるっとした感覚が私のeuphoriaなんだろうか。

自分の心の動きがよくわからないことには、胸オペが済んだら今度は当初予定していなかったホルモン療法もしたくなってきたこと。欲が出たのだろうか。それ一体、何欲って言うんですか。

とにもかくにもこのまま順調にバストバンドが取れて、動きの制限も減って、自分の体に幻滅しなくてよい時間が増えますように。

在宅勤務の期間が明けて出社した時の身の処し方とか、親族とのやりとりとか、面倒なことは考えないようにしている。大丈夫、考えないことは得意。

病んだ母とケアについて

この記事は私の吐瀉物のようなものだ。

記憶の中の母は常に精神を病んでいる。今も状態はすこぶる悪いようだが、母と会わなくなって、コミュニケーションらしいコミュニケーションを取らなくなって久しいので、実際の様子はわからない。

高校生の頃、私は母と一時的に2人暮らしをしていた。当時、母は家から一歩も出なかった。隣家との垣根に背の高い板を張り巡らし視線を避けた。玄関先のコンクリートの通路に波板を敷いた。人が歩くとザクザクと大きく不快な音がして、家の中にいても気が付くためだった。

私は母に最寄り駅への行き来のルートを指定されていた。家と駅の最短距離ではなく、ひどく迂回して人通りのある大通りを使うように。「私、心配性だから」が彼女の口癖だった。毎朝、登校前に500円玉を渡されて、帰路ファミリーマートで日経の夕刊とスナック菓子を買う。夕刊を手に家に帰る。革靴でバリバリガサガサ音を立てて入っていく玄関。雨戸を閉め切った部屋は薄暗い。ソファに小さく縮こまった母がいる。青白い顔の母に夕刊を手渡して、スナック菓子を抱えて2階に上がる。通学鞄を持ったまま掃除されていないトイレに入り、鞄から弁当箱を静かに取り出し、中身を下水に流す。大きな具材が詰まらないように、咀嚼して吐き出すこともあった。

母は家事ができる状態ではなかったが、それでも彼女の中に理想の主婦像があるらしく、「子供に栄養価の高いものを食べさせなければ」という意識だけは強かった。だからどんなに調子が悪くても食事はずっと母の手作りだった。食材は宅配で買っていたと思う。塩分は悪で、家には食塩がなかった。私は毎日、塩を一切使わない、そして非常に量が多い弁当を持たされた。固い七分づきの米と無味の卵焼きと何かしらのおかずが詰まった、白いプラスチックに透明の蓋の平たい弁当箱。学校の購買や食堂の利用は許されない。いつ頃からか母の手作り無塩弁当が食べられなくなって、ほとんど手を付けずにトイレに捨て始めた。確かクラスメイトが「食事を自分で吐いた」と言っていたのを覚えていて、真似したんだと思う。今も続く過食嘔吐が始まるのはこの家を出たあとのことだが、今思えば食べ物を噛んで吐いてトイレに流す一連の動作はこの時期に完成されていた。トイレの水には私の捨てる食べ物のせいでうっすら油が浮いていた。

夕刊のおつりで買うスナック菓子の塩味がおいしかった。菓子は自分の部屋で食べた。自室の扉は閉めてはいけなかった。部屋の中がいつでも見えるようにしておかなければいけない。何年も開けっ放しにされた戸は、金具に癖がついて閉めるほうが難しくなっていた。どうしても閉めたいときは、戸を背にして床に座り込み、もたれかかって開かないようにした。でもそうしていると、戸のすぐ外に母が立ち、ため息をつくのが聞こえる。

目に見えないルールはもっともっと山ほどあった。全ては母の強い被害意識から来ていたと思う。私は母へ質問してはいけないと知っていた。母の行動や表情には絶対に触れない。母とのコンタクトが必要な際はよくよく様子を伺い、空気が緩んだ瞬間を逃さない。母の敷くルールに抗わない。10代で構築したこのスタイルは身に染みついてしまった。接する相手を不快にさせないという最大目標のせいで汎用性が高かったこともあり、大人になった今も抜けず、自分にとって人間関係の負担を非常に重いものにしている。

最近ヤングケアラーという言葉が人口に膾炙してきたが、私は自分が母をケアしていたとは未だに思えない節がある。ただ、病んだ母を死なせず、自分のストレスも最小限にして共存するために取った行動が、ルールに従う「良い子」でいることだっただけだと思っている。

コロナウイルスの感染拡大を受けて、母は再びかつてのように1人で家に引きこもっているらしい。先日、しばらく続けていたパートを辞めたことと、電話番号が書かれたショートメッセージが届いた。相手の要望を察して喜ばせる方法こそコミュニケーションだと思い込んでいる私と、もう十分だ、私がケアすべきではないと主張する私が、未だに激しく戦っている。大人になってから母を喜ばせようと装い振る舞った結果の負荷が大きすぎて、会食のあと私のほうがひどいうつ状態になったことも一度や二度ではないのに。私は、母が死なないなら、私が死んでもいいのだろうか。

いろいろ日記と急拵えの通称名

仕事ばかりしている。

以前は多かったリモートワークがめっきりなくなり、ほとんど毎日出勤している。さっき数えたら数日のリモート含めて今日で12連勤めで、それは流石に疲れて当然だと思う。明日は休み。

職場で毎日感染者が出ていて、その情報はほとんど共有されない、ただそれが日常になっている。そういう状況と環境なんだ、と思う。日常とか非日常とかいう言葉が意味をなさない。

 

食事のこと。

出社時は昼と夜、外で食事をとらなければいけない。社食の密集空間・価格・味・栄養の全てが嫌でお弁当を持っていくようにしたら、人に「節約!?」と笑われた。だったらなんだと癪に障ったが、会話が面倒で「ああ、まあ」とか答えた気がする。笑いながら。笑うな私。誰も笑うな。

そもそもこんな状況になる前から、人と食事をするのはそんなに得意じゃなかった。食べ方がよくわからなくなる。話しかけられたとき頬張ったものを飲み下すのは間に合うか、咀嚼音を聞かれたくないし聞きたくない、目の前で大量に捨てられていく残飯、とか。以前、社食で同僚と食べなきゃいけなかったときは麺類一択だった。視線と箸が泳がなくていいから。あー、そのときも「麺類ばっかり食べてるね」って笑われたんだった。

お弁当はおいしくて、ありがたい。

昨日、職場の人が作業中の差し入れにコンビニ菓子を買ってきてくれたんだけど、今、本当に許容できる食べ物が制限されていて、甘くて脂質の多いもの、しかも人のいる空間で食わなきゃいけない生菓子は、私にはどうしても無理だった。「甘いもの、だめなんすよね、お気持ちだけいただきます」的なことを言って断ったら、「じゃあこれなら酒飲み用だよな!」って、ミックスナッツを渡された。それも袋から出して紙ナプキンの上にのせてくれたので、断れず、持ち帰れず、内心半泣きで礼を言って、部屋に誰もいない一瞬の隙に口に突っ込み噛み砕いた。ちなみに捨てるのも無理なんです。ごめんなさい。まじでお気持ちだけが嬉しいです。

 

本当に嬉しかったこと。

三ヶ日に通称名を捻り出した。勢いで決めた感。ただ、どうあがいても女性名の自分の名前は変えなきゃ示しがつかないな、という気持ちもあった。何に。

1月半ば、会社に通称名のIDカード発行を依頼したら、2週間でできた。仕事柄というかなんというか、本名以外でカードを発行できる仕組みがあったのが幸いした。新しい名前の印刷されたカードと、社用PCのログイン画面の表示変更が思っていたより嬉しくて、あ、私、名前、嫌だったんだ、とちょっと驚く。新しい名前が嬉しいというより、相容れなかった名前とおさらばできた開放感だと思う。

今日、名前の変更手続きをしてくれた上司に直接会えたので、礼を言った。上司いわく「あっ、カードのデザインが新しくなってる!良いな〜」。そこなのか。でも個人的にはそれくらいライトなリアクションに助かってます。本当に。

深夜、仕事からの帰路、駅前でガチャを回した。カリモク60のミニチュア。欲しかったKチェアが一発で出て、嬉しくて、地下鉄の座席に座りながら組み立てた。足元のヒーターが温かくて、ふくらはぎのぬくみと全身の疲労とミニチュアの手触りがぐちゃぐちゃに混ざりあってなぜか吐きそうだった。

 

したほうがよいこと。

近々、改名申立てのために裁判所に行きます。

あと、息抜きと、何も考えない時間を作ります。

 

追記

申立ては郵送ですることにしました。