セイメイホケンとかジンセイセッケイとか

以前の職場でよくしてもらっていた人からLINEがあって、他愛もない話をしていた。

そういえば生命保険、コロナに対応したやつに入ってます? と聞かれる。知り合いのお子さんが陽性になったんだけど、ちょうど保証付きの保険に入ったばっかりで、お金がおりてよかったって、私も最近保険、見直したんですよ。あぁ、いや、へぇ、そうなんですか。

私は生命保険に入っていない。仮に入ろうと思ったら、長年精神疾患を患っているので相当モノを選ぶだろう。胸オペについて調べていたとき「保険適用+事前に生命保険に入っておけば収支がプラスになることもある」という情報も目にした、でも無理。そもそも自分の生き死にを真剣に考えることができない。抑うつ状態で死ぬことはしょっちゅう考えたけど、なんかこう、生きる前提で考えるというのがよくわからない。死んだり死にかけたりした場合に備えて……? 思考が停止する。

こういう人間と生命保険って根本的に相性がよくないと思う。だから人から「少なくとも何かしらの生命保険には加入していて当然」という前提で話を振られて面食らってしまった。

前提が共有できてないけどわざわざ共有するのも億劫だし、前の職場つながり程度の人間に「生きるとか死ぬとかよくわかんないんですよね〜」とか言われても、困るよな〜。とはいえ適切なお茶の濁し方、わからないな〜。って生返事していたら当然盛り上がらず、話題は「在宅勤務が減ってきたね」みたいな内容にぬるりと移行した。

生命保険といえば李琴峰『独り舞』によく似たシーンがあったと、この日記を書き始めてから思い出した。主人公の趙紀恵は会社の福利厚生の生命保険に入れない。同僚に、どのプランにするの? と聞かれた彼女は「保険には入らないよ」と「しれっと」答える。私もしれっと答えられればよかった。入れない、入らない。私の返答は、紀恵のように自分を守るためのある種の突き放しではなく、相手の顔色をうかがった結果うやむやにしただけの返しで、「しれっと」とは程遠いところにあったな。

「生命保険」と私が関わりを持てないのと同じくらい、「人生設計」もよくわからない言葉の筆頭だ。人生、なんだろう。設計できるものなのか、それは。うつの私にはわからない。と思って過ごしてきたけど、トランジションを進めて良くも悪くも活動的になっている今でも引き続き謎。ただ、その質は変容した気がする。6月に始めたテストステロンは如実に作用していて、私の精神状態は強制的にアッパーになっている。友人たちは口を揃えて「テンション高いね」と言うし自分でもそう思う。よく食べ、よくしゃべり(冒頭のLINEのように主に文字ベース含め)、ソワソワし、性欲を持て余し、薄い社交を増やす。ジェンダークリニックじゃないほうの精神科の定期受診で、双極性障害の薬は減らすことになったが、主治医からは「ホルモンの変化との相関はわからないから自分で様子見してください」と言われた。

トランジションって大きな決断ですよねきっと。まさに人生に関わることだし。ただ、私は「もう いっかな」で始めて、1年間で持てる手札すべてに手をつけちゃって、何度も言うけど行き先もないままで、まあでもそういうこともあるんだ、本当にいいとか悪いとかじゃないな、と思う。設計されていない人生を歩んでいる気がする。

銀行口座やパスポートなど、必要な範囲での氏名変更手続きは、今日ようやくひと段落した。ズボラなせいで忙しさを理由に遅々として進まず、約2ヶ月も掛けてしまった。

注射は2週間おきに打っていて、3週間あいだが空いたときは最後の数日間の落ち込みがすごかった。そのときの暗い気持ちがかつてのデフォルトの精神状態なのかはもうわからない。忘れっぽい。とにかく気分の波の高低差とか自分の変化に耐えきれずに、一度は終電の地下鉄を降りたところで少し泣いた。ただホルモン治療を始めてから泣く回数は格段に減っていて、総時間も量も減っていて、なんだろうなこれはと思っている。因果関係は不明だけど事実。殴られても甘やかされても今なら泣かない。前は泣こうと思ったら涙が出てきたし、泣こうと思わなくてもぐじゃぐじゃと泣いた。今はひとりになって大きく動揺してはじめてポタポタと泣く。今日は『文藝』の短編とエッセイを読んでちょっと泣いた。まだ泣けた。