『文藝』2022秋季号掲載の高井ゆと里「舌は真ん中から裂ける」を読んだ。最近なぜか泣きづらくなったと思っていたのに、読みながらあっけなく泣いた。
私は、トランジションをすると決めてジェンダークリニックに通院を始めてしばらく経った去年10月に日記を書いた。
自分の中の性別押し問答は辛くて苦しくて消耗する。この日記を書いた後、私の舌は一気に裂けた。今、自分は新しい形の舌を口腔内に馴染ませながら、やっぱりわからない、と思っている。だけどその「わからない」は、去年のそれからは少し変質しつつあるように思う。絶望から、諦念にも近い受容に、未知を探索する心持ちに。30年以上見当たらなかった言葉を掴む。奪い返す。あるいはどこにもないなら、描き出してもいいのかもしれない。舌の痛む私たちで、てんでバラバラの姿で。
子供の頃あまり好きではなかった読書感想画を、大人になってから時々描く。先生からの褒め言葉も、賞のひとつももらえない。ただ描いている間無心になれるので描く。
思ったより怖くなっちゃった、そんなつもりはなかったんだけどな。
ただ、「私」を指し示してくる有象無象の手は本当に怖いし、あの舌の痛みはずっしりと重く、意識がある間ずっと苦しい。それでも目を見開いて口を開けて舌を口蓋に当てて喉を震わせる。私の声がする。
私はこれからも私の日記を書きたい。何度同じような内容を繰り返しても、そのときの自分が思ったことならそれでいい。もつれた舌で口ごもりつつ、少し掠れて低くなってきた声でしゃべり続けたい。