日記

 

書かねばならない。私は忘れるから。

 

私はしょっちゅう、よく、いつも、何か書きたいと思う。何かがあったときでも、特筆すべきことがないときでも、あるいは新年の抱負とかでも、「書きたい、書こう」と心に決めたことは過去に何度もある。でも私は飽き性で筆不精だから続いた試しがない。部屋のクローゼットには最初の数ページだけが書きかけのノートが何冊も並べてある。私が10歳のときだったか、父親に「3年日記」なるノートを買い与えられたことがあるのも今思い出した。驚くべきことに今でもその紺色のハードカバーの紙束は持ってたりするんだけど、3年どころか1年どころか1週間も続かなかったと思う。そもそも10歳の自分の日記を見返したくもないし、そんじゃ捨てろよ、と思うが、筆不精と同時に変えられない性分としての「捨てられない」を存分に発揮して、とにかく部屋にそれはある。


だけどやっぱり書きたい。今書きたい。何でもいい。本当は何でもよくないけど、何を書くかを考えるエネルギーがない。仕方がないから私がまだ忘れてなくて忘れそうなここ数日のことを書いておく。

 

今日の前、つまり昨日、昼間に何をしたかは覚えてない。たぶん薬を許される範囲で多めに飲んで、洗濯物を畳みながら眠くて眠くて昼寝をした。これはメモしてあったからわかる。開けた窓から秋風が吹き込んで肌寒かった気がする。夜には同居人に客が来て、2時間から2時間半くらい大事な話をした。私は同席する必要があって、疲れてたししんどかったしで表情を整えることができなかったが、一応話を整理するために時折口を挟んだ。そのあとお客と一緒にごはんを食べた。食べたごはんは鶏の唐揚げとなめこのお味噌汁、飲んだお酒はサッポロ350ml缶2本と鍛高譚の赤紫蘇梅酒をロックで2杯。ここのところ食欲がなくて個人盛りだと食べきれない。残すと作ってもらっといて申し訳ないしごまかせないけど、大皿料理だとあまり箸をつけなくてもバレにくいな、と思ってた。帰り際、顔色の悪さをお客に指摘された。私は、散々話したあとになぜ今、と思いながら「そうかしら」とか言って笑ったと思う。

交差点で自信満々に信号待ちするジャックラッセルテリアの白く短く丸い尻尾、これはたぶんおとといの記憶。その日は仕事の後、半年くらい行ってなかったお店に顔を出したんだった。欲しいEPがあった。ちょうどダウンロード版で購入するか迷ってたところに、アーティストがCDにZINEをつけて売るというので、そんならフィジカルバージョンで買うと決めていた。私が店に入った時、店主は電話で仕事の話をしていた。客は私の他にいなくて、私は店主が話し終わるのを待って欲しかったやつともう1つ別のアルバムと知らない人が書いた手話のZINEを持ってレジに行った。最初店主は私を私だと気づいてなくて、ああこのアーティストいいですよね、なんて話してる途中で私の顔をじっと見て、少し間をおいてからぐーっと目をまん丸にして「あっ、うわっ、なんだ」と言った。でも店主は私の名前を知らない。たぶん。それか呼び方を知らない。私は店主の名前を知ってるからあまりフェアじゃない気がする。でも名乗らない。店主は近況を聞いてくれた。私は「今週は、死ぬかと思ってたところなんです」って笑って言った。店主は眉根を寄せて「あらら、そうなんですか」と言った、と思う。帰り際に「また来てくださいね」と言ってくれた、と思う。思う、のは、私がこの日のことをもう忘れ始めているから。


誰彼構わず「死にたいですよ」って言うかどうかは各人の自由だと思うけど、言われた方にとっちゃめんどくせえことこの上ないので、店主さん、この場をお借りして謝ります。ごめんなさい。届かないけど。何かの間違いが起きて届くかな。今度会ったら直接謝ります。ごめんね。困らせたかったんじゃないんです。それが私の近況なんです。


という感じで、私は今日も会う人会う人に「死にたいですよ」と言ってまわりたい気分だし、そう言われてしまった相手の表情を想像して本当にごめんねと思う、それでもやっぱり、という気持ちです。だけど今日は言わずに1日を終えそう。

 

PCのバッテリーが切れそうなので、これで終わり。

 

スマホから追加

(1) この記事を下書きに保存したあと、仕事の雇用主から「こないだ会った時お疲れの様子でしたね?おいしいものでも食べながら、愚痴り大会しましょうね」という連絡が来た。優しいね。労働者を大事にするよい会社です。気にかけてくれてありがとうございます。既読無視している。「死にたいですよ」とは言えないかなぁ。どうだろ。ごめんね。

(2) さらにそのあとは普通の梅酒ロックを4杯飲んだ。帰ったらビールを飲もうと思う。忘れることは加速するけど、忘れることへの罪悪感がなくなる気がする。