台風の日の日記

私は今、超でかい台風が来たということで、人生初の避難所に泊まっている。ここは学校の体育館で、数十人の人たちが避難して来ている。小さなお子さん連れが心持ち多い。夕方から夜にかけて、お子たちは随分と元気で体育館全体を駆け回り、備え付けのホワイトボードに磁石を音高く並べたり、配布された毛布やエアマットで陣取り合戦をしたりして少し辟易したが、まぁ、いい。ご老人も同じくらいの人数。

私はといいますとこないだの日記にも書いたけど、希死念慮がもーのすごく強くてアホみたいに泣いたり怒ったり短時間の遁走をしたりしてたんですけども。今日は、同居人が付けてるテレビから四六時中目に耳に入ってくる台風情報と部屋に広げられる防災備蓄の確認作業、迫られる避難の判断がそれはもうストレスでストレスで限界が来て爆発してしまい、大声を出してしまった。自分の中にドサッ、ドサッとストレスが蓄積されていくのがわかって、これはやばいと頓服を1錠だけ飲んで20,30分横になろうとしたら服薬も思考停止(に見える行為)も嫌がられたこと、「なんで避難に前向きじゃないのか、どうせめんどくさいだけだろう」と断定されたこと、腹が立って、泣いて、叫んで、無理で、「ひとりで勝手に避難すればいい」とも言った、気がする。これはよくない。

もちろん心配だからいろいろ調べてるってこともわかってはいたはずなんだけど。すみません。ほんとすみません。

しかしこのブログは謝罪ブログなんだろうか?昨日に引き続き。届かないのに。卑怯。ほんとにすみません。

 

結局、雨風が本格化する前の夕方に避難することを決めた。荷造りは午前中に一通りしていたので、あとは同じ建物に住む老齢の大家さんに声をかけ(おそらく避難などしないとはわかっていたが念のため)荷物抱えてえっちらおっちら徒歩で避難所に向かった。実は昨日のうちに、服の上から着られる撥水の上着上下を買っておいたのでそれを着て。これ、濡れなくていいですが、クソ暑いですね。汗かきの私には雨に濡れた方がマシに思えた。

 

避難所に着くと、優しさ総動員って感じの若手区役所職員らしき人たちが迎えてくれた。手渡された書類に必要事項を手書きする。氏名、住所、電話番号、性別(二択、丸つけ方式)、年齢、要支援者登録の有無、福祉手帳の所持の有無と種類、何かあった場合どういった対処を望むか。

当然日本語オンリーだし、各欄や説明にふりがなはついてなかった気がするし、紙とシャーペンだし、記入事項もうーん20点!って感じだったけどとにかく書いて提出。避難所になってる上階の体育館まで職員さんがエレベーターで誘導してくれる。あくまで笑顔。いいですよそんな。すみません。大丈夫ですよ。むしろその体力と笑顔を作る気力を温存して。自分のために。まじで。

(その後某地区の避難所でホームレス受入れ不可を宣言してたという情報を聞き暗澹たる気持ちになったけど、家の近所の人たちのことも考えたりしたけど、正直あんまり深く考えられてないです、すみません。)

 

配布された食料(水を入れて60分放置でできる混ぜごはんや水)や持ってきたお菓子なんかを食べ、膨らませたエアマットに横になったりしていたら徐々に人が増えてきた。それもある程度の時間になったら落ち着いて、みんな少しずつ寝る体制になってった。

ちなみに肝心の台風は、夜が更ければ更けるほど、ガッチリ閉めてるはずのドアをすごい勢いで揺らしたり窓を殴りつけたり天井から雨漏りさしたりしてたけど、私は充電満タンにしたBluetoothイヤフォンでイ・ランと玉名ラーメンの曲を交互に聴いていたのであまりわかりませんでした。いいよね玉名さん。

 

でも、生きるための避難、身を守るための避難。私は同居人がいたから人生初避難したけども、これ、ひとりだったらしてない。だってつらいから。命、守らなくてもいいって思うし。

だらだらだらだら書いてるけども、特に今回思ったのはこれです。台風や地震なんかがあると必ず言われる「ご自身や大切な人の命を守るための行動をしてください」。

これ、そうなんですよ、当たり前なんだよ、けどここ最近のしにたい私はこの言葉に混乱して動揺して処理できなかったです。

人が強い希死念慮を抱いたり自殺企図に結びついたりしているとき、迷惑をかけようという意図は案外なくて、というよりそんなことに気は回ってない。と思う。でもしにたい。終わらせたい。そこで耳に飛び込む「命を守ってください」。それは、残念ながら今の私には、お前は今続いてる苦痛を維持し続けろ、お前にはその義務がある、と聞こえる、とまではいかないけどそうともとれて。実際こうして避難して無事(家が無事かは知らないけど)一夜を明かしてしまったわけで、今日から先はまた私にとっての苦痛が待ってる。私がしにたくても、誰にも肩代わりはできない。別にして欲しくもない。

守られたのはなんなんでしょう。

 

少し前に、六本木でやってたクリスチャン・ボルタンスキーの展示に行きました。静かな、死の世界へのツアー。ユダヤ系である作家自身が今まさに生きている時間を秒単位で可視化したカウンター、日々を記録し続けるビデオ作品、とっくの昔に死んだ様々な人の、新聞の死亡者欄に載った顔写真。裸電球で飾られた祭壇風の何か。展示期間中に毎日消えていく電球。「来世」のネオン。

1人の作家の回顧展としては非常にストーリー性があり、なんて一貫性のある人なんだと思いながら、私は《発信する》を観ていた。それはあの世の「門番」なのだとキャプションにあった。黒いコートを羽織って頭にランプを灯した木製の「門番」。遠目に見れば、コートのお陰で俯いて大股で歩く人に見える。胸のスピーカーから死者に、鑑賞者に、死の瞬間について問い続けている。日本語と英語で交互に、静かに。

「教えて。苦しかった?」

「ねえ、どうしてお母さんを置いていったの?」

 

ねえねえ私、どうして助かろうと思ったの?どうして助かったの?どうしてまだ生きてるの?門番さん、いたら、一緒に考えてくださいよ。