近所の好きなクリーニング屋さん(強い私の話)

ひんやりした風が吹く季節になると私は強い。夏の間中、躍起になって隠そうと試みた体の線と肌をしまって、上着を羽織って歩く。かかとが5cmくらいあるブーツを履くと私はもっと強い。

 

ブーツを履いて家を出て、今の私は強い。と念じながら、9月の終わりの週末、商店街に向かって5cm増しの私はずんずん歩く。

商店街の端には、素敵な佇まいのクリーニング屋さんがある。あるんだけど、ここはしばらく前に店仕舞いをしてしまった。そして強い私は、今日はいつもより視界が広いこと、それはお店の前にあった樹が切られてなくなって、建物の二階部分が取り壊され始めているからだってことに気がついて、一気にしょぼくれてしまった。

 

このクリーニング屋さんが好きだった。きっと長く営まれて来たお店のガラスの引き戸にはペンキで屋号が書かれていて、横の窓から見えるのは、お客さんから預かった洋服が天井から吊るされてる様子と、年季の入った大型のプレス機。

だけど実は、クリーニング激戦区のこの近辺で、私はこのお店に洋服を持って行ったことはなかった。

 

道に面して生えていた樹が好きだった。初夏になるといい匂いのする花を咲かせる樹、この樹が3本だってことも知らなかった。地面からごく近い位置で幹が切られて3つの切り株になってるのを見て初めて、樹は3本だったこと、思ったより幹が細いこと、ほんの数十センチの狭い土壌に生えていたことを知った。

暑くなってくる季節、夏は嫌い嫌い嫌いって心の底から呪いながら背中を丸めて下を向いて歩いていると、急にいい匂いがする。立ち止まって見上げると、私の髪に触れる高さまで枝垂れた枝に繁る葉っぱ、その深い緑に織り込まれたみたいにして、紫色の小さな花がたくさん咲いてる。細い鉄格子のはまった窓は開いていて、店主らしき人影、白いランニングシャツが動いている。

 

クリーニング屋さんは、店を畳んでからしばらくの間、いらなくなったものを軒先に出していた。「ご自由にどうぞ」。人間が何十年も生きて暮らして働いて営んできた痕跡がガラス戸の前に積み上げられていて、それは町中のワイシャツを入れられそうな背負子だったり、電気では動かない鉄製のアイロンだったりした。お店の前を歩くたびに覗いた。お店がやってた時には立ったことのなかった店先。いつかの深夜、呑んで酔っ払った帰り道に、小さなこけしの形の栓抜きをひとつもらった。きっと誰かの旅行のお土産。

 

ブーツを履ける季節になって、コートを着る頃を待たずに、すぐに今の建物はなくなる。更地を経て新しい建物が建つ頃に、強い私は「ここって前は何だったっけ?」って、きっと一度は言う。