痛みと向き合うのが怖くて逃げ続けていること(カウンセリングを受けた話)

 

 右脚の付け根が痛いのと左足の裏の筋が違っているのとで、どう歩いてもどこかしら痛む。が、身体の物理的な痛みは割とどうとでも対処できるな我慢すればいいし痛み止もあるし、とか思っている。さしあたって痛まないはずの部位への対処方法がわからない。

 

 よく見る夢がある。

 舞台は必ず銭湯で、私は男湯に入るのだけれど、番台で鍵をもらい脱衣所を通り風呂場で身体を洗い始めるあたりで、おかしい、と気付く。夢の中の私の肉体には、皮下脂肪と胸部の膨らみがある。周囲から明らかに浮いた自分。異変に気づく男たち。夢は大抵、私を責め立てる彼らに取り囲まれた状態で、必死に「何が問題なのか、私は迷惑をかけていない」と弁明するところで苦痛がピークになる。最終的に風呂場から逃げ出して、脱衣所で得体の知れない老婆に金切り声で説教をされる。泣きながら、助けてくれ、と叫ぶ。

 

 先日カウンセリングに行った。自身の今後の身体および社会的性をどうするのかどうしたいのか、明らかにしたくて、ジェンダーについて詳しいと言う話のカウンセラーの予約を取った。

 60分の枠の中で、私はしゃべりにしゃべった。いままでやって来たこと、職場のこと、親のこと(ああまた親だ)。不必要な愛想笑いを挟みながら、くるしい。つらい。

 でも、全然しゃべれないことがあった。

 

「あなたはどういう身体だったら居心地がいいと思う?」

 

 「わからない」を繰り返した。わからない。わからない。わからない。答えられてせいぜい、「こうありたい」ではなく「こうありたくない」という消極的な形だった。どういう身体が居心地がいいか?わからない。でも高い声も胸も男性器も厭だ。でも、じゃあ何なら嬉しいのか?わからない。

 曖昧に逃げる私に、カウンセラーが言い換えさせる。結局、小さな声で、こんなことをいったら馬鹿みたいですけど、と前置きして絞り出したのが「性徴のないひと……」。

 

 馬鹿みたい。

 私は私がわからない、わからなきゃいけないのに、わかろうとしてこなかった。ずっと逃げてきた。そのツケは、いざ向き合おうとしたときには、すでに結構大きい。

 おととい、また公衆浴場の夢を見た。