突然加速したり停止したりする、コントロールのできない脳みそは困る(第三者に伝えた話)

 

 私はこれまで自覚的なカミングアウトをしてこなかった。

 知っている人は知っているし、知らない人は知らない。それで不都合はなかった。と思っていた。(でも髪を切った私は「どう見てもノンケに見えない」らしかった。この表現はなんか好きだ)

 

 本当に必要に迫られて、自分がトランジションを迷っている段階にあること、それに伴って仕事上(トランス云々は直接関係ない、こともないが概ねない)ちょっとした困難に直面していること、を、旧知の仲の同期たちに伝えた。一番返信が早いと言う理由で、開きたくもないfacebookのmessengerで。

 焦燥のような何かに駆られて、自分の状況を簡略に説明する文章を勢い良く打ちエンターキーを押してから、私の手は震えていた。動悸がしたし、顔に血が昇るのが分かった。

 

 自分でも驚くくらい突然、そして勝手に飛び降りた清水の舞台は、思ったより高かった。何せ急ごしらえの足場は、蹴った瞬間に崩れ落ちた。

 

 彼ら彼女らは、この段になって、私に何も尋ねなかった。うつくしい受容のことばと、相槌。うすらぼんやりとした私の今までを知っていて、かつ「界隈」の住人である、彼ら。お互い久しく会っていない。その後、私の精神的な死体の上で、相談事の調整が続いた。

 

 受け止められたいという希望にすら思いが至っていなかったし、実際受け止められたとも感じなかった。ただ、私の突然の告白とそれに対する彼らの反応から得られた感覚は、なぜか、苦痛だった。不快だった。

 結局のところ、理解されていない実感しかなかった。それはそうだ、だって私が理解していないのだから。自分で答えを見出していないのに、相手から正解が出ないからと言って怒ってどうする。正解がわからないのだ。何と言ってほしいのかすら、わからないのに。

 理解されると思ってやったわけではない。そこまで考えてない、ただ不便だから伝えたのに、勝手に期待しているような構造になって、実際その架空の期待は架空の裏切りを喫した。

 ぼやぼやと現状に甘んじていた私から、ぐずぐずの思考で頭がいっぱいになりつつ何の状況も変わっていない私への、しょうもない変化。

 

 思えばそれは、カミングアウトの類でしたね。クローゼットのさらに内側にある扉。鍵をかけておけばよかったね。

 そんなもんだよ。諦めな自分。これからは自分の頭と対話しろ。