私自身の身体について、昔の日記を見返したこと(身体イメージの話)

 

 ここのところ、生きていく上でのジェンダーやら病気やら自分自身との折り合いやら諸々の事情で、自分の身体、および自分が持っている身体イメージについて考えざるを得なくなっていて、今もやはり考え続けて眠れない。これは朝5時に書いている。

 さっきもそもそ起き出してパソコンのデータを整理していたら、ちょうど今から4年前の今頃に書きなぐったワードファイルを見つけた。その中に、当時の私の身体に対する諸々の記述があった。

 その頃私は、複数の精神障害の診断が下りて数年経過したところだったと思う。私は世間的にモラトリアムと呼ばれる期間を延ばしながら、所属を変え人間関係を切断し、抑うつ症状と自殺企図と過眠とパニックと付き合っていた。よくある話である。そして、過食嘔吐にはまっていた。これまたよくある話。

 

 性別違和をそれなりに持ちつつ(それなりに、というのは当時自分が使っていた表現、なんか気色悪いけどそのまま使う)生きたくないなりに生きながら、たまに本気で死のうとしながら、本来生きるための行為である食に執着した。身体は飢餓状態だった。そして過食し嘔吐する行為自体、「理想の身体になりたい、その身体で生きたい」という思いに少なからず支えられていたのだから、矛盾だらけだった。別に今だって矛盾が服着て歩いてるようなもんだけど。

 

 私は食べて吐くという行為が好きだった。正直なところ、当時よりはぐっと頻度も衝動も減った現在でも、別に嫌っていない。結構計画的な算段だとか、たくさんの味だとか、血糖値が急上昇して全身がびりびりする感覚、元・食品がのどを逆流する圧迫感。食べる以外に何も考えなくていい時間。私は行為にわくわくしていた。その結果得られる身体の変化にも。

 もともと痩せ型だった身体は、危険水域ちょっと手前くらいまでいったみたいだ。生理現象に影響が出たし、骨盤が出て椅子に座るのが痛かったけど、別によかった。毎日複数回繰り返す行為へのわくわくと、性別から想起されるイメージから離れていく自分の身体へのわくわくは、おしりの痛みとは代えられなかった。

 私は、性別の記号を読み取れない、脂肪も筋肉もない、様々なホルモンバランスが崩壊して生殖をしないしできないなにかに、なりたかった。その身体で死にたかったし、それでなら生きていたかったんだと思う。

 

 当時に比して優に15kgは体重を増やした今でも、身体イメージは当時形成されたままで、よく齟齬が起きる。自分の身体を見たり身体について考えたりすると唖然とする。鏡やガラスに映った自分の輪郭線や、裸になって見える/見えないものとの向き合い方は、まだ確立しない。確立させたいか否かとは別に、私は私に流動性を許せていない。