石内都(美術館で考えたことのメモ)

 

冬の日の午後、石内都の写真展「肌理と写真 GRAIN AND IMAGE」を観に、横浜美術館を訪れました。

作家の名前をいつどこで知ったか既に記憶にはないんだけれども、私の中のあまり多くはない写真家リストの中で、絶対に名前も作品も間違わない数少ない作家。いしうちみやこ。

以下、散漫なメモを散漫につなげたもの。

 

 

静かで穏やかで饒舌な写真だと思っていた。初期の風景写真も、人の身体を写したシリーズも、遺品に向き合った作品にも共通した感覚を抱く。 

石内は、デビューから一貫して「失われるもの」「失われたもの」を写している、と思う。

写真の現像は、織りを学んだ石内にとって、布を染め上げる行為。

織物も写真も、時間を織り込まれている。

作品はどれも静謐、でも同時に静かな声が重層的に話しかけてくる。被写体の痛みや恐れや熱がひそひそと目に飛び込んでくる。写真を前に、ひそひそで頭の中がいっぱいになる。

フリーダ・カーロや作家の母親や「ひろしま」の残した衣類から、声が聞こえる気がする。今はいない持ち主の生きた声、苦痛と、相剋する歌と息遣い。時間の織り込まれる音がする。

 

人を写した写真。

老いてたるんだ肌に浮かぶ老斑は美しかった。縮んだ脂肪と筋肉を包む薄く伸びた皮膚が発光していた。

特に「1906 to the skin」シリーズのひび割れたかかとの写真が好きだった。刻まれた皺。冷たく固く硬化した皮膚の下に血流がある。

展示を一周し終えてから読んだ説明文から、被写体は舞踏家 大野一雄だと知って、納得した。舞台を踏みしめてきた足。

 

紡がれるために水に浸かる蚕の繭が生々しかった。

事故や病気や火傷や先天的な理由による様々なきずは本来非常に「個」なんだけれども、接写によって「個」を特定するもうひとつの大きな手掛かりである顔を切り取られて、誰のものともつかない匿名のきずになって、私の身体のきずになる。

熱線を浴びて濃色の水玉模様だけが焦げて穴の開いたワンピースは、ライトの上で軽やかで柔らかで、触れたら、着ていたひとの肌のぬくもりを感じたかもしれない。

 

買って帰ったのはこの日観たのとは別の展覧会の図録。表紙には、性別適合手術を受けたひとと、そのパートナーの身体の写真が載っている。

巻頭に寄せた文章に、石内が書いていた。

 「身体に関わることは喪失に関わることと同じかもしれない」

(石内、「身体の悲しみ」『Infinity ∞』p.12, 2009)

 

石内都」とは、作家の母親の旧姓名だということを展示中に知った。

作家は、カメラを手に取り発表を始めた20代の終わりに、母親の名前を名乗ることを決めた。その四半世紀後に母・石内都は亡くなって、娘・「石内都」は母の遺品(「皮膚の断片」)(『Mother's』2002)を作品にする。

 

名前は身体か?

失われるはずだった「石内都」を、少なからずーーいのちとしては1世代、作家としてもっとずっと長く、「石内都」が延命させたのか?だとしたら、だとしなくても、それはとても大きくてものすごくて怖い。